教育

2007年10月16日 (火)

医学・生理学賞ノーベル賞

ノーベル賞が発表されるシーズンになりましたね。

僕が中学の一年生の時に来た教育実習生に将来の夢を聞かれて、とっさに

「ノーベル賞を取ること」

と口走ったことがあります(笑)。

教科の中では理科が大好きだったのですが、残念ながらそうした研究者にはなれませんでしたね。

8日に発表された今年のノーベル賞 医学・生理学賞を受賞したのはマリオ・カッペキ博士でした。

特定の遺伝子の機能を失わせた「ノックアウトマウス」を作り、医学の進歩に貢献した功績を称えられた受賞です。

僕も大学院に所属していて研究生活をしていた時に「ノックアウトマウス」を使用した経験があります。ノックアウトマウスで研究を行うと、特定の病気の原因などを研究するのに役立つのです。

ところで、このカッペキ博士の経歴として、ワシントンポスト紙のWEB版に、すごいことが書いてありました。なんと、博士はストリートチルドレン( Child on Street) だったことがあるそうなのです。

イタリア生まれの博士が、第二次大戦中のわずか3歳だった時、いわゆるボヘミアンだった母親が、強制収容所へ送られるという悲劇に見舞われます。このため、マリオ少年は、ストリートチルドレンになることを選択して、母親が解放されるまでの数年間を物乞いで過ごしたというのです。収容所から出た母親の教育で、博士はハーバードで博士号を取得するまでになりますが、なんて激しい人生なのでしょう。以下、原文がありますのでご興味があればお読みください。

Child on Street to Nobel Laureate

Mario R. Capecchi's earliest memories are of his mother being arrested by the Nazis.

In 1941, Capecchi, then a young boy living in the Italian Alps, saw the Gestapo haul away his mother, a poet who had allied herself with anti-Fascist intellectuals. The arrest was the start of a remarkable journey for Capecchi, one that included being a homeless street urchin, suffering from malnutrition in an Italian hospital, immigrating to the United States -- and yesterday, winning the Nobel Prize in medicine.

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2006年10月26日 (木)

どうやったら英語が話せるようになるのか?

1281679826 どうやったら英語で話せるようになるのか? と言う質問をよく受けます。考えてみれば、僕は大学受験のときの得意科目は数学と国語でしたし、暗記が主体の英語は正直、苦手でした。大学のときに教科書は英語で書かれたものを使いましたし、気張ってTIMEとか読みましたが…。

医者になって麻酔科指導医をとるまで6年間は臨床一本やりで、英語にまったく触れない日々が続きました。ちょうど5年目のときに医学部の大学院を受験したのですが、大学院の入試が英語の問題を英語で答えなればならなかったため、もう一回受験勉強しました。

4900790052 このときに一般の単語を覚えるのに使った本はDUOと言う本でした。これはいい本でしたよ。現代英語の重要単語1600+熟語1000を重複なしで560本の基本例文に凝縮しているのです。2週間ぐらいかけて覚えました。これはいい体験でしたよ。もしかしたら、受験英語としては最も英語力が上がったときだったかもしれません。医学関係の英語以外は忘れてしまっていましたから、ブラッシュアップにはよかったです。

英会話をはじめたきっかけは、自律神経の研究をしていたときにパートナーがカナダ人だったことがあります。そのときに気付いたのは、まず話す内容が先にあり、英会話はその後であるということでした。つまり、英会話は目的ではなくて、単なる手段なのだと思うようになりました。

このレーザーの世界に入ってからは、海外のドクターと話す機会も多くありますし、英語での講演もあります。クリニックを訪問してくれるドクターも多いので、自然に話すことが増えてくるのです。今でも英会話がすごく得意というわけではないのですが、学会などで、数日あちらにいると、耳も口も慣れて、スムーズに会話が出来るようになりますね。

英会話を始める上で、リスニングは映画などで慣れるしかないですが、話すためのコツは二つあると思います。ひとつはとにかく英語で自己紹介を出来るようになっておくこと。もうひとつは、何らかの本で基本フレーズと相槌を覚えるのですが、そのときに必ず声に出して読むことです。

しばらく英語圏の国にいると、首というか喉の筋肉の一部が痛くなってきます。たぶん日本語と英語では、話すときに使う筋肉が違うのだと思うのです。そういったトレーニングをしておくとよいのだとおもいます。

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2006年8月30日 (水)

脳に想像力を育てるためには

Fi1213_0e 最近、NHKのプロフェッショナルという番組をビデオに撮ってみています。これは以前あったプロジェクトXの後番組で、仕事のプロを取材して、追っていくものです。


実は、以前に書いた脳科学者である茂木健一郎さんが司会なのです。


よく読む本の作者が、テレビの司会をしていると、テレビのコメントによって、その著作の理解が深まることがあります。面白いことだなあと思っています。高校生のときに僕が好きだった三島由紀夫や、谷崎潤一郎が、テレビの司会をする番組が、その当時あったら、きっとかじりついて観たのでしょう。


その茂木さんが脳に想像力を持たせるためには、スケジュールに空白の時間が大切であるとコメントしていました。日々の仕事に追われて”てんぱった”状態だと、想像するどころではないのでしょう。


僕は鎌倉で生まれ、藤沢で育ちました。親の教育方針で、公立の学校に行っていたので、高校生になるまで塾には行かず、のんきに田舎暮らしをしていました。でもそのときの体験が、想像力を鍛えていたと思うのです。


家のとなりの空き地でトンネルを掘って遊んだり、基地を作って遊んだり、海で泳いだり、江ノ島の洞窟を探検したり、近くの川にザリガニやフナを取りに行ったり、鎌倉の八幡宮でせみを取りに行ったり。

 
でも、考えてみれば、子供の遊びは、子供なりに本当に頭を使って工夫するものです。ザリガニひとつ吊り上げるにも、えさはどうするとか、ザリガニの前に、どうやってえさをぶら下げたら釣れやすいとか。海でおぼれないようにするには、潮の流れに乗って泳いだほうがいいとか。


こうした空白の時間があったからこそ、想像力が豊かになり、好奇心が生まれたのだと思います。


同じようにビジネスも、参入障壁が高く、簡単に人に真似できない、しかもニーズとシーズをつかんだ、実は生活になくてはならない新しいビジネスモデルを思いつくために、想像力が必要です。


野原で遊んでいた私達の両親の時代の努力によって、日本は高度経済成長をしてきました。今の子供は、小さいときから塾に通わされますし、第一、東京にはいわゆる自然の遊び場が少ないですよね。コンピューターゲーム上では、工夫するといっても、想像力が生かせるところが少ないです。日本の教育に足りないといわれている想像力を伸ばすためには、小さいときから自然と戯れる経験が必要なのではないでしょうか?

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2006年8月27日 (日)

ゼロの概念

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実はひとつご縁あって、来年度より開校するとある経営大学院にある医療系MBA講座で講師を助教授待遇で頼まれてもらえないか・・・というお話を頂いています。講座は一定期間しかも土日に限定された講義なので、クリニックの院長と兼任も可能だというお話です。僕は学術の世界が好きなので、こういうお話を頂けるのは素直に嬉しいですね。時間やタイミングなどがうまく合えば自分に出来ることはしたいと思ってます。


その講師会が今日開かれ、仕事の合間に初めて参加してきました。この経営大学院は海外の大学の日本分校なので会議は英語で行われたのですが、ファイナンス系の講師として召集がかかった面々に、インド人が多いのには驚きました。インドは21もの言語が存在するため、会社などの公共の場で働くときは、ほとんどは英語(一部ヒンドゥー語)の会話になるのだそうです。どうりで英語が上手いわけだと感心していたのですが、ファイナンスといえば、やはり数学の知識は切り離すことが出来ません。


今のアメリカのITのシステムエンジニアは、インド人の比率が非常に高いとか。インドの数学教育のレベルは非常に高いことを思い出しました。インド人は九九を、20×20の段まで憶える事が義務付けられています。日本の九九の実に4倍! それだけでも膨大な記憶量が必要ですよね。


 数学においては、インド人が世界史上最初に発見した“0(ゼロ)”という概念によって、十進法が可能となり、負数(マイナス)の概念も確立したわけで、まさにインドは近代数学の祖といえます。


ゼロという概念を初めて見つけるというのは、考えてみると、本当にすごいことだと思いませんか? ゼロは負数や虚数と違って、実際に存在する数字だと言えます。しかし、誰かが気付かない限り、認識は出来ないのです。インド人はきっと、世界にあるほかのどの文化圏の人よりも発想が豊かなのでしょうね。


そういえば、僕は医師国家試験を受験するとき、あまりに勉強が辛くて何かにすがりたくなり、般若心経を毎日唱えていた事があります。この経験によって多くの仏教経典のダイジェストとも言える、般若心経を暗記できましたし、今にしてみればいい体験でした。


般若心経の中には、「色即是空(この世の万物は形をもつが、その形は仮のもので、 本質は空であり、不変のものではない)」、「空即是色(またその空は、万物の形を持つのである)」という言葉が出てきます。般若心経の「空(くう)」は、すべての固定的観念を否定することを主目的としているのです。


インド人は「空」という概念を非常に大切にし、この概念が、ゼロの発見につながったのでしょうね。

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2006年8月21日 (月)

どうやったら勉強が出来るようになるのか?パート2

Fi1173_0e

そういえば、前回
[関連した日記LOG]
書き忘れたことがあります。


医師になるためには、医学士をとらなければなりません。
普通の学部だと、文学士なら文学のみ、経済学士なら経済学のみ
勉強すればよいのですが、


日本の大学で医学士を取るには、解剖学士や生理学士、衛生学士、内科学士や整形外科学士、外科学士などの全く関連の無い分野の、38の学士をとらなければならないのです。勉強するにしても結構な分量です。


ですから、全く新しい分野の勉強法というものが自然に身についてきます。


新しい分野の勉強で、もっとも有意義な事は何でしょうか???僕が都立の看護学校で非常勤講師として教鞭をとっていたときに、学生に話したことがあります。

Fi1173_1e それはまず最初に、教科書の目次を暗記するように、しっかりと読み、ノートに書きとることなのです。


教科書の目次は、著者がもっとも頭を使う場所です。実際に自分で本を書いてみると分かります。こうやったらこの分野の説明が上手く出来る。そう考えて、骨組みを組むのです。通常目次なんて読み飛ばしてしまうのですが、いかにこれが、もったいないことか。


まず目次を読んで、頭の中に本棚を作り、内容の文章を読むことで、その本棚に一冊づつ本を入れていく作業をするのが、もっとも早く、新しい分野を勉強するコツなのです。また、知恵蔵や、imidasの特定の分野を切り取って、大まかな分野の理解に使用するのは、実に役立ち、さらに時間の節約になります。


情報過多の時代、その情報の選択がいかに大切かということですよね。

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2006年3月 3日 (金)

ファイナル・アンサー

以下、昨日の問題の解答を書きます。


① 社長はすでに尊敬語で、さまは必要ない。 お見えになられるは、いらっしゃるの誤用。
② おられますか。ではなくいらっしゃいますか?
③ とんでもございません。は誤用。「とんでもない」ひとつの言葉なので、とんでもないことで御座います。というのが正解
④ 持参は謙譲語。お持ちくださいが正解。
⑤ 役不足というのは、役が物足りないと言うこと。力不足で御座いますがが正解。一生懸命は、本来は一処懸命。
⑥ ご苦労様は、目下の人に対する言葉。お疲れ様でしたが正解。
⑦ ご一緒させていただきます。が正解。
⑧ ご利用になれます。が正解。

どうですか?「とんでもございません」という誤用はかなり頻繁に聞きますよね。上品な女性に、「とんでもないことで御座います」なんてさらっと言われてしまうと、育ちのよさを感じて、ドキッとすることがあります。

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2006年3月 1日 (水)

美しい敬語を使いましょう

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最近この手の本が増えてきましたよね。次の表現はどこが誤用でしょうか? 皆さん分かりますか?まじめにやると結構難しいですよ。明後日解答を出します。


① 院長、○○薬品の田中社長さまがお見えになられました。
② 恐れ入ります。看護師の西村様、おられますか
③ 他人から褒められたり、お礼を言われたとき
A「御親切にしていただいてありがとうございました」
B「とんでもございません」
④ セミナーなどで 当日は筆記用具をご持参ください
⑤ 昇進を言われたとき
わたくしでは役不足ではございますが、一生懸命・・・
⑥ 上司が帰宅しようとするとき
院長、ご苦労様でした
⑦ 目上の人に誘われたとき
ありがとうございます。是非、ご一緒しましょう
⑧ 当院では、クレジットカードが御利用できます。


尊敬語、謙譲語、丁寧語という3つの敬語が日本に存在します。使い分けが難しいですよね。言葉は変化するもので、時代とともに用法が変化するのも当然です。

かの夏目漱石は、最近の言葉の乱れが気にかかるというコラムを明治時代に書いています。僕の知り合いのあるスペイン人も、神と語るためにあるスペイン語だが、本来24種類ある文法の活用を判別して使用している人が最近は減ったと嘆いていました。

今日も”お釣りの方お預かりします。”とか言われてちょっと反応してしまいましたが、若い人の言葉遣いが気になりだしたのは、自分が歳をとった証拠なのですかね??

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2006年1月15日 (日)

日本においてベンチャービジネスが育ちにくい理由

大学院に入学した年より、4つのクリニックの経営に関わっているが、そもそもクリニック経営というものは、着眼点、それに対する対応のスピードの重要さなどを加味するといわば、ベンチャービジネスのようなものであるとおもう。日本においてはベンチャービジネスが育ちにくいと言われているが、それには文化、教育、そしてファイナンスの問題があると考えられる。


ベンチャー起業家の育成に必要なものは、第一に知識ではなく風土や文化である。日本文化は“他人と同じ行動を取らなければ死を意識しなければならない“しかしながら勤勉な農耕民族を起源とする。「和をもって尊しとなす」「武士道」「恥の文化」「出る杭は打たれる」「長いものには巻かれろ」日本人として耳慣れたこれらの言葉は、総じて保守的な国民性を象徴している。元来安定志向であり単一的な思考を好む日本の風土においては、異質な人間や考え方を拒む気質が強く、創造的なアイディアやビジネスは生まれにくいと考える。同じモノの考え方や同質の情報をいくら集めても、そこから創造的なアイディアやビジネスは生まれることは少ないからである。


ベンチャーに適していると言われている米国文化は一言で言えば、雑多な価値観の集合体である。多種多様の人種が激しく出入りし、結果、多くの情報が集まる。混じり合う意見や考えが異質であればあるほど、新しいアイディアやビジネス誕生の糸口に繋がる。“他人と同じ事をしていては生き残れない“狩猟民族を起源とし、個人主義が強い米国文化の特徴が強みになる点である。当然の帰結として、ベンチャーのように人と変わった着眼点をリスクに感じるのは、日本古来の文化に基づく側面にあると言えよう。このような国民性や文化を変えることは困難であるが、これを変える試金石となるのは、やはり今後の日本人教育であると考える。


第二に、日本教育の側面について考察する。“社会に埋もれたシーズとニーズを問題意識として切り取り、そのビジネスプランをインキュベートする。”それがベンチャービジネスに必要な能力だと私は考える。他人と違った価値観を持ち、与えられた情報に対して独自の切り口を見出せるかで勝負が決まるのである。しかし、残念ながら現代日本の教育ではこのような能力を鍛える場が殆ど無い。戦後、日本で教えこまれてきた教育は、得意な教科を伸ばす事よりも、苦手な教科を無くす事に重きを置かれた。さらに学校教育の頂点に位置する大学入試では、記憶を頼りに“答えのある”問題を解く能力が求められた。そのような能力の育成に主眼を置いた偏差値教育は、詰め込み主義や塾の隆盛を招き、偏差値の高い大学に合格するためのテクニックを教える場に成り下がった。日本教育の頂点を極めたエリート大学出身の官僚が、答えのない社会問題を解くのに難渋し、先送りを繰り返す様は、まさに現代教育の皮肉である。結果として、日本の教育は創造性を重視しない単一の価値観をもつ国民性を形成し、多様な個性を無視する社会の形成を招いた。これらは高度成長期に一定の価値観を持つ市場を作り上げ、そのプラットフォームに誰もが欲しがる商品を提供するという日本固有の強力なビジネスモデルを作り上げたが、21世紀となり、価値観が多様化してインターネットを中心として細かいレベルでのオーダーメードができる現在では、これらの日本型のモデルが利用しにくいと言える。また、日本の教育システムでは文系および理系の選択を迫られる時期が早いために、21世紀の文明国家である日本を代表する大学の文系の学生が、物理はニュートン力学の16世紀、化学は17世紀、一番新しい知識を教える生物でも、ワトソンクリックのDNAという60年も前の知識しか持たないことは、科学先進国を標榜する国としては、まさに心もとない。事象を多様な角度から分析する能力と知識を持つためには、文系理系に渡る、ダブルもしくはトリプルメジャードに渡る知識を持つ人間の育成が重要だと考える。


米国の大学には実践的な経営理論を教えるビジネススクールがたくさんあり、多くの学生が起業を志して巣立っていく。日本の大学でもようやくビジネススクールを開設する動きが本格化したが、学問上の知識は多くても、実際には経営の経験がない教授も多く、数や質の面で米国とは比較にならない。実際、卒業後ベンチャー企業に飛び込んでいく学生も残念ながら極めて稀であり、一流大学を一流の成績で出るような人物が選ぶのは、やはり官僚や一流企業が一般的である。第三に実際に起業するときに直面するファイナンスの問題が挙げられる。ファイナンスの問題で第一にあげられるのは、やはり企業にとっての血液とも言える「資金」の調達策であろう。どんなにアイディアが良くても、優秀な人材が数多くいても、事業化するためには資金こそがまず不可欠の大要素である。事実、多くのベンチャーは初期段階にこの金の問題にぶつかっている。冒険をしなければ飛躍はないというので、金が無くて事業を始める。資金がなければ銀行へ借金に行く。ところが、日本の銀行は銀行は必ず、リスクヘッジに土地・不動産を担保にとって金を貸付ける。欧米の銀行と異なって、資産のない、おまけに歴史も短いベンチャー事業に金を貸さない。しかしながら銀行はこの問題についてのみは、近年変わりつつある。担保の土地や不動産が無くても、経常利益を順調に増加させているベンチャーには金を貸すようになった。銀行もこのような会社が返済能力を持っていることにやっと気が付いて、評価基準が欧米型になりつつあり、土地本位制に、経常利益本位制を加えたといえる。
ベンチャー企業を資金面で支援するベンチャーキャピタルも、日米間で大きな隔たりがあるといえる。米国の場合は経営の現場に踏み込んで、助言したり、顧客を紹介したりと、様々な面でベンチャー企業の面倒を見るが、日本のベンチャーキャピタルは出資したベンチャー企業が株式を上場するのをひたすら待つだけ、というところが多い。米国の経営大学院の教授は、教え子のベンチャー企業立ち上げに際し、単なる助言だけでなく、資金提供に至るまでをサポートする。
さらに法的、社会的な問題もある。ストックオプション等に対する規制はようやく日本でもこの問題に手が付けられ始めているが、株式公開するための厳しい条件、そしてそれをクリアするために必要となる年数の長さ、一度大きな失敗をすると敗者復活が難しい失敗を許さない日本の社会、ビジネスがうまくいかないと私財をすべてつぎ込んで頑張る姿勢を見せないと許されない風土が大きなネックになっていると考える。反対に米国では会社借入金が弁済不可能となった場合でも、法律的に個人として責任を負う義務はない。さらに業務上、発生した損害賠償(取扱商品の事故・業務上の交通事故・PL法・使用者責任)が会社として弁済不可能となった場合でも、個人として責任を負う必要が無い。どんな良い商品を開発しても、必ず売れるとは限らない。ビジネスには失敗はつきものであり、敗者復活がたやすい社会環境はベンチャーには追い風になるはずである。


日本人の文化的側面はグローバル化した社会状況下で変化はすると思われるが、長期的には教育により変化させるしかないであろう。記憶勝負の教育システムから、学問の知識を広く浅くいわば共通言語を得るまでの記憶のとどめ、事象について考える教育に変化させる。他人に対して自分の価値観を押付けることは最もおろかなことであることを認識し、国内に多様な価値観を生み出し許容することを目標とした教育が必要である。

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